もう少しだけ、61歳で会社辞めて、起業しました。

61歳で会社辞め、起業します。その不安と期待にあふれた日々をお届けできればと思います。

守ってあげたい

ご贔屓のプロ野球チームを追って沖縄に行ってきました。大男の球団から移籍をしてきた大将からサインをもらったり、ファームの読谷では奥様の中学の後輩投手の練習を見たりとキャンプの醍醐味を味わいました。丁度、千葉にある菓子メーカーのチームと練習試合があったので、その試合も見ることにしました。天気は快晴、気温は25度はあったと思います。半袖のTシャツの私は痛いほどの日焼けとなりました。試合も大勝し、沖縄を満喫することが来ました。そんな中で少し気になったことがありました。30過ぎほどの知的なインテリっぽい眼鏡をかけたお洒落な男性が乳飲み子を連れてやってきました。まだ目も開いていないような、生後2か月程度の赤ん坊です。今風だなと思いながら、ふとこんな子を太陽の直射日光に当てるのか?と思いました。間もなく奥様も登場3人で観戦です。どう見ても赤ちゃんが可哀そう。日傘をさすわけでもなく観戦しているので、やがて赤ん坊の顔は真っ赤になり、泣き叫び始めました。周りの人も皆一同にこんな暑い中で赤ちゃんを晒すのか?と思ったに違いありません。それでも交代で赤ちゃんを抱え、時に日陰に逃げますがすぐに戻り、平然と観戦です。練習試合と赤ん坊とどっちが大切なんだろうとその夫婦に問いてみたくなります。今どきの夫婦で、こんなに暑くなるのは予定外など事情があっての事かと思いますが、大切な赤ん坊を守ってあげてほしい。と思いました。最後には、インテリっぽい顔が馬鹿面に見えてくるのは不思議ですね。なんなら代わりに守ってあげたい。


春風(風邪)のいたずら

間もなく花粉症の季節がやってきます。とういか今年は例年よりも暖かく少し早く、すでに始まっているようです。
そういう私もかなりの重症患者です。例年3月10日頃から発症し20‐30日がピーク、GW明けけ位に収束という流れで過ごしています。不思議なことに韓国や中国に出かけると現地で3日目位にはピタリと収まり快調に生活、日本に帰国し飛行機から降りた途端に鼻がムズムズし,即再発です。と言いながらも昔に比べて、薬の性能が上がったのか年齢的な問題なのか、抗体ができたのか、最近はやや症状が和らいできた気もしています。会社員時代は1日テイッシュ一箱、会議にも持参をしてましたから。
思い起こせば、1970年代の小学生のころから春先は鼻がぐしゅぐしゅしていました。当時は花粉症などという言葉もなく、春風邪は治りにくいと言っていた記憶があります。今から考えると、風邪ではなく花粉症だったんだなと思います。
幸いに、今年はまだ発症していません。本当は今、病院に行って予防したほうが良いようですが、なかなか腰が上がらず、今年は発症しないといいなと思いながらやり過ごし発症して寝れなくなる位つらくなると重い腰を上げる、これも例年のパターンです。


まさしく、花粉が春の風に乗って、私たち人間にいたずらしているような気がします。

おおさかの列は左きき

仕事で大阪に行ってきました。約8か月ぶりの大阪です。近鉄とメトロとJRをいろいろ乗り継ぎました。あちこち乗り継ぐうちに少し気が付いたことがありました。
エスカレーターで上がるときの追い越し側が私のいる中部とは違い、左側が追い越し車線(通路)になっていることに気が付きました。偶々かなとも思いましたが、3⁻4回乗ったエスカレーターですべてこの現象だったので、これが定着しているんだなと思います。韓国なんかでは左側が追い越しです。中国なんかはぐちゃぐちゃでしたが、左だった気がします。私は勝手にその国の交通ルールと同じ形なんだなと思ってましたが、どうやらその考えは違ったようです。京都や神戸、滋賀辺りはどうなんでしょう。俄かに興味が湧いてきました。でも、エスカレーターでは歩かないというルールが間もなく定着しそうです。(定着しない気もしますが)エスカレーターでは歩かないが定着すると、ひとたび歩く輩が出現した暁には、右にどいてよいものか、左にどいてよいものか戸惑う場面も出てきそう。今は、暗黙の了解ですが、暗黙がなくなると人によって個性が出てきますよね。


左側が追い越し車線が左利きかどうかは分かりませんが、語呂合わせました。
歌の題名を分かっていただけるかな、無理か…。