もう少しだけ、61歳で会社辞めて、起業しました。

61歳で会社辞め、起業します。その不安と期待にあふれた日々をお届けできればと思います。

セーラー服を脱がさないで

仕事で名古屋に向かう際は小生が卒業した高校の最寄りの駅を通過します。3年間はこの駅を使い通学しました。4月になって母校の生徒と思われる学生がブレザーを着ているのに気が付きました。そう言えば、同窓会報か何かで制服が変わると告知も来てました。男子生徒はグレーのズボンにブレザー、女生徒はチェックのスカートにブレザー、今の時代女生徒はズボンもOKかな。よく見るとセーラー服を着ている学生もいるので、新一年生から変更かもしれません。小生の高校は、優秀かどうかはさておき創立84年の旧**中。詰襟に校章のバッチを付けた男子生徒、特長のある1本ラインのセーラー服の女子生徒。皆、制服に愛着を持っていた気がします。小生にはブレザーは私学、公立は詰襟、セーラー服という固定観念もありました。時代が変わり、偏差値も私立が上位を占めるようになり、ジェンダーという思想も浸透し制服も変わってきたんでしょうね。詰襟やセーラー服は軍隊を想像させるから避けられるのかなとも思ってしまいます。45年前の自分の時代でも軍隊などという感覚は全くなかったです、併せて学生帽をかぶる学生も皆無になってきました。自分たちの証がなくなるようで、少し寂しさを感じます。母校だけでなくどの学校もできれば詰襟、セーラー服で今どきの服装のデザインができるといいのに、できる事なら詰襟、セーラー服脱いでほしくないというのが、小生のささやかな願いです。因みに中国では日本のセーラー服がお洒落という事で街着用で流行ってた気がします。


題名の曲は、今ならセクハラで一発アウトでしょうか?


確認するって本当ですか

前回の自宅の外壁塗装から10年経過し再塗装の見積を取り寄せてます。元々の大手ハウスメーカーの見積は350万超えの高額、今や何でもやる大手家電販売店から取り寄せたところ4割ほど安く対応という事でお願いすることに。そんな中で大手家電販売店の担当者に洗濯機の水栓の開閉が固くて困ってます、T*TO製ですがと話をしたところ、「当方でメーカーに電話して確認します!」と快い返事、ところが待てど暮らせど回答なし。その後2回ほど会いましたが、忘れているようです。さっさと自分で電話し対応しました。また起業時にメインとした銀行の部長さん、時折NISA増額の懇願電話が入りますが、旧NISA積み立てを解約し、新NISAに振り替えるとどうなるの?と聞いたところ、専門家に聞いて回答します、といった切り音沙汰なし。きっとその場で増額が叶わなかったので、忘れちゃったのかと思います。長い間BtoBの世界で営業してきましたが、出来ないことは受けない、受けたら必ず何らかのアクションを取るが基本でした。消費者(C)相手のBtoCの世界では、その場を上手く取り繕うが優先なのかな?カスハラ、モラハラがクローズアップされ、怒られることがなくなったからなのかなとも思います。相手の会社への信頼は薄れませんが、こんな小さなことでも担当者への信頼はやはり下がります。悪口言うつもりは全くありません。きっと皆それぞれ超多忙とか事情があり悪気はないのは分かってます。改めて思うことは人頼み、人任せは宜しくない、すべて自分が主体的にです。


オリジナル曲(ダカーポのつもり)の淡い内容とかけ離れた内容になりました。


待つわ

海外の人と仕事をしていると、日本の人達とは違う傾向があることによく出会います。よくあるのがほうれんそう(報連相)の違い。特に個人的に感じるのは、良い報告は結構すぐに来るんですが、良くない報告や、結果が出ていない件に関して連絡がこないことが多いなと感じます。例えばインドでは、ある案件の結論に対し1週間待ってほしい社内で議論するのでと言って、音沙汰なし、連絡を取ってみると1か月後に展示会があるのでそこで感触をつかむからと言って音沙汰なし。これを繰り返し半年以上が経過するケースもありました。つい最近は韓国でも、来週水曜日までに結論出します、と言って音沙汰なし、連絡してみると今週は展示会で忙しく来週までに連絡しますと言って音沙汰なし、2週間経過しても音沙汰なし。
長年の経験からここで喧嘩をしては元も子もなしです。彼らは、良い結果を報告できない多少の罪悪感と共に、決まってこないという事実から彼ら自身のその案件に対する優先度が下がっている証拠という認識でいたほうが良いし、彼としては全く悪気はないのは事実です。とはいえ日本サイドでは小生の先に結果を待つ業者の方々もいるわけで、放置するわけにもいかず上手くとりなしての時間稼ぎをしています。この辺は信用にかかわるので、失わないようにするのが私の仕事かなと思ってます。
まあ、報連相なんて日本の文化、良い面もあれば、決断が遅い、権限移譲が行われないという悪しき習慣も生みました。海外の人に押し付けずに、気長に待つことにします。
私、待つは、いつまでも待つわ、歌の通りです。